高齢の親へのプレゼント
傘寿、八十歳を超えた頃の高齢の親のプレゼント!
それも既に10年以上前からのことで、
有り難いことに今だに当方の両親は元気にしていてくれる、
というよりも本人曰く、「元気に魅せられるよう!頑張っている!」という事の様だが、
自分もそれなりに社会の荒波に揉まれて子どももある程度大きくなり、
遅まきながら誕生日、クリスマスとあれやこれや「貢ぎ物」をしてきた。
自分で言っておいてなんだが「貢ぎ物」というのは適当な言葉ではないだろう。
決して何か経済的見返りや何かしらの恩恵をもらいたい!という気持ちでやってきたことではないから。
ただ
「自慢の息子にはなれなかったけど、何とかやってるよ!」
「それなりに幸せだよ!」
「元気で長生きしてほしい!」
等々の気持ちを込めて、贈ってきたということであり、
「貢ぎ物」というよりは「感謝の気持ち」の一つ!と表現した方が、
この高齢の親へのプレゼントは良いのかもしれない。
「気持ちが晴れやかになる少しだけ色が派手な服」や、
「好きな庭仕事に使えそうなおしゃれな麦わら帽子」、
「食が細くなった両親が喜ぶたくさんの種類のご馳走が食べられる食事会」や、
「何十年前の当方も知らない青春時代の思い出があるであろう国内旅行」等々、
自分の考えられる、出来るだけの親孝行はしてきたつもりである。
それは、その時その時、喜んでもらえたように記憶しているし、当方自身も嬉しかった。
「この服はとても軽くて着やすいし、日向ぼっこをしている時に羽織ると温かくて丁度良い!」
「このタオルは少し派手だけれど、3色バージョンがあって、気持ちがウキウキする!」
等々のコメントをもらえると我ながら贈って良かったなぁ!と思った次第!
ここはモノを言葉で語ってくれない神様と違い、
何らかの意思表示をしてもらえる「高齢の親」のまたひとつ、有り難いところ。
でも年齢は一つ一つ積み重なり、
毎年毎年、「モノ」に対しても、「食べる事」に対しても、
まして「旅行」にも気持ちが動かなくなってきている様に思われる。
それもそのはずで、もう数えれば百歳という年齢になり、
日々の時間もゆっくりと過ぎていく中、
「あれもこれも欲しい!」「あっちにもこっちにも行きたい!」という気持ちも
少しずつ薄れていくのであろう!
それはそれで致し方ないと思うし、ある意味自然なことで、
ただ穏やかな時間が流れていてほしいと願うばかりだが、
「まだ何か喜んでもらえることはあるのでは!?」と考えるのも人の常。
そんな時、自分は何でも良いのだが「モノ」、
特に「思い」や「思い出」がありそうな「モノ」を見つけて、
何かしら語りかけるようにしている。
例えば「今度の誕生日、どんなモノが欲しい?」と問いかけると、
ここ数年は先ず
「もう特に欲しいモノはないなぁ! 無理しないで自分のために使いなさい!」と第一声。
それでもめげずに、最近でも使ってくれている
「麦わら帽子」みたいな「『庭仕事で使えるモノ』を探してこようか!」と返すと、
「それはいいね!」から会話は弾んでいく!
但し、よくよく聞いていくと具体的に何が欲しい!というよりも、
自分の庭仕事を知ってもらいたい!
庭仕事をする時、身体の節々が痛くなり子どもにも辛さをわかってもらいたい!
何が欲しい、何をしてもらいたい!というわけではなく、
むしろ「しつこく言われると煩わしい!が、ただ話を聞いてもらえればそれで良い!」
という事の様である。
親へのプレゼント 何十年も前に作った「折り紙の指輪」
挙げ句の果てに、散々歩き回って散財して貢いだここ数年の贈り物よりも、
半世紀以上前の自分がまだ小学生に行ったか行かなかったか位、
親も本当に若かった頃、でも自分には想像も認識もできていない大変だった時期に、
幼い自分が「折り紙で作った指輪」、それが一番大切!と言われる始末!
拍子抜けしなくもないコメントに、
考えてみれば、自分も娘や息子に何をもらいたい!ということはなく、
ただただ元気でいて欲しい!時に絆を感じられればそれで良い!
と本心から思っている事に気づかされる。
そんな時、どんなに散財されて贈られたモノよりも、
自分が守らなければいけない子どもから思いがけず貰った
「折り紙の指輪」の方が大切な贈り物であるのだろう!
親とはつくづく有り難いモノである。
大切な人の「大切なモノ」
その「折り紙の指輪」は今でも箱の中に仕舞われている。
でもそれもいつかは朽ちて、親がいなければ捨てられていく事になる。
それはそれで仕方がないのだけれど、怖いのは親が元気なうちに、意識のある時に、
「あの『折り紙の指輪』はどこかしら?」と尋ねられた時、
ガラクタと間違えて一寸した時に捨ててしまうこと。
大切な人の「大切なモノ」。
大切な人に「感謝の気持ちを伝える」ために、
その「大切なモノ」をしっかり見つめていたい。
全てを残すことも、全ても理解することも出来ないけれど、
少しでも「感謝の気持ち!』を伝えられる様に、
この「折り紙の指輪」もツムナス・フォトブックに残しておきたい。